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【感想】斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』(ハヤカワ文庫JA)
とても印象的なタイトルだ。名探偵が活躍する物語を好んで読んできた人間にとっては、なおさらそう思うのではないか。古くは探偵小説、現代では本格ミステリと呼ばれるジャンルの作品では、しばしば凄惨な殺人事件が描かれる。犯行は一度で終わることもあろうが、長編ともなれば連続殺人事件に発展することが多い。そういう地獄のような舞台に名探偵は颯爽と登場する。だから逆説的に探偵こそが事件を呼び寄せる死神なのではないかと読者の間で揶揄されたりネタにされたりもする。『楽園とは探偵の不在なり』というタイトルは、探偵小説が描いてきた世界観から導かれるひとつの真理として、まず読む者の心を打つ。たしかに、楽園では探偵が必要とされるような事件なんか起こらない、だからこそ楽園というのだろう。しかし、私たちはこの作品がそんな楽園を描くものではないことを知っている。この作品には探偵が登場し、殺人事件が発生する。しかも孤島の館で。古典的ともいえる本格ミステリだ。タイトルに使われた「楽園」というワードが暗示するものは、むしろ地獄……。地獄とはっきりいわないだけ、余計に禍々しく読者の想像を掻き立てる。
本作の特筆すべき部分はなんといっても天使が存在するという世界設定だ。降臨した天使は人間の世界にあるルールを課した。二人以上を殺した者は即座に地獄に引きずり込まれる、というルールだ。つまり、探偵小説的なお約束である、単独犯による連続殺人事件は起こりようがないという世界観になっている。いわゆる特殊設定ミステリだ。この状況下で、絶海の孤島の館で連続殺人事件が発生する。世界のルールに反するかのような事件はいかにして成されたのか。これが謎解き要素の面白いところだ。
ただ本作の凄さは特異な設定のアイディアやそれを駆使したロジックの組み立てにとどまらない。天使の登場によって連続殺人事件が劇的に減った。この影響をモロに受けたのが名探偵というキャラクターだ。警察ですらお手上げの事件が起きてくれないと物語の中の名探偵は廃業するしかない。『楽園とは探偵の不在なり』というタイトルが暗示するもうひとつのものは、探偵そのものの存在意義だ。本作の主人公である探偵・青岸焦は、決して癒せない傷を負った失意の名探偵として登場する。この世の地獄をくぐり抜けてきた彼は、探偵として立ち直ることができるのか。この物語の世界には天使が存在する。しかし、それは誰もが想像するような、善人を無条件で助けてくれるような天使の姿をしていない。こんな世界に救いはあるのだろうか。不条理な死、世に蔓延る悪人。探偵は正義を示せるのか。本作が本格ミステリである以上、最後に探偵が謎を解く。その過程の苦悩、人間ドラマこそ本作の一番の読みどころであると思う。
本格ミステリでは本作のような探偵というキャラクター性そのものをテーマに据える作品が多く見られる。周囲の人間に死をもたらす死神体質の主人公が登場する、汀こるもの『パラダイス・クローズド』に始まるタナトスシリーズ。阿津川辰海『紅蓮館の殺人』では探偵としての在り方に苦悩する名探偵の姿が描かれ、続く『蒼海館の殺人』でその立ち直りが描かれた。90年代新本格世代の読者にとっては二階堂黎人の創造した名探偵・二階堂蘭子を思い出す人もいることだろう。あるいはさらなる飛び道具としては麻耶雄嵩の生み出した銘探偵・メルカトル鮎か。かように古来より探偵というものは魅力的であると同時に様々な矛盾を抱えた危うい存在でもある。名探偵の名犯人たる資質については古典の時代から指摘されている通りだ。探偵小説、そして本格ミステリにとって切っても切り離せない厄介なキャラクターである名探偵がどんな描かれ方をするのか、いまさら言うまでもないことであろうが、本格ミステリを読む醍醐味のひとつである。