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【コラム】集英社版『学習まんが 世界の歴史』全面リニューアルで発売! 子どもと一緒に大人も歴史を学ぶことについて。
出版業界において今年大きな話題となったことといえば、まずひとつにガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』の文庫化が挙げられるだろう。長年文庫化が待ち望まれると同時に、文庫化なんてあり得ないとも思われていた作品であるだけに、発表当初から大変な話題となり、発売されるや期待に違わず飛ぶように売れまくり、当店でも今年の文庫売上ランキングにおいてぶっちぎりの1位はまず確実というところ。
そして個人的にこれに勝るとも劣らない大きなトピックだと思っているのが、集英社版『学習まんが 世界の歴史』シリーズの全面リニューアルである。今年の4月に発表されたときには、各巻の表紙を著名な漫画家たちが担当するということで大変な反響を巻き起こした。時代を象徴する歴史人物の肖像を、あの漫画の絵柄で見ることができる。こんな贅沢なことがあるだろうか。学習まんがを実際に読む子どものみならず、買って与える側である親世代、それも漫画を読んで育ってきた、あるいは現役で漫画の読者であるいまの親世代にも強力なアピールポイントであることは間違いない。22年ぶりの全面リニューアルで新学習指導要領に沿った内容にアップデートされた本シリーズは先日待望の発売となった。当店では店面積の関係で残念ながら大々的な展開は叶わないものの、全巻セットを児童書コーナーに準備しているので、是非ともお声がけ願いたい。
本シリーズは、2026年に創業100周年を迎える集英社の「創業100周年記念企画」の一環という位置づけである。さすが「まんがの集英社」を名乗るだけのことはあると思わせる気合の入れようで、本シリーズにかける思いの深さが伺える。現代日本に生まれ育ったものならば、多かれ少なかれ漫画に触れる機会はあることだろう。私は子どもの頃から漫画好きといえるほど漫画を読んできた人間ではないが、小学生時代には図書室にあった学習まんがを貪るように読んでいた記憶がある。もちろん普通の物語作品から学ぶことも多く、例えばそれらで知った言葉の数は、授業で教わったものの比ではないだろう。だからといって学校の授業が不要であるなんてことをいいたいわけではない。
漫画雑誌の青年誌化が進んだ1960年代以降、それまで子どもの読むものが中心であった漫画は、老若男女を問わず読者の対象となり、市場の細分化が進んでいった。これほどまでに文化的に社会に広く浸透した漫画というコンテンツの教育に果たす役割は、決して小さなものではないと思える。歴史という現代社会を形作るうえで極めて重要かつ繊細なテーマを、漫画にして読ませるという発想が現れたのも自然な流れといえるだろう。
私自身の話をすれば、これまでの人生の中で学習まんがの底力を感じたことが2度ある。1度目は高校の授業を受けていたときのことで、当時私は日本史選択だったのだが、教科書の内容に目新しいものがほとんどないと気づいたのだった。もちろん小中と歴史の授業を受けてきていれば、大きな流れは変わらないから繰り返しになる部分は多い。ただ、これらの知識の源泉はどこにあるのかと振り返ったとき、小学生の頃に読んだ学習まんがの記憶がありありと蘇ってきたのだ。学習まんがの対象とする読者はおそらく小学生くらいの子どもが中心ではあろうが、その中身は実は高校の教科書レベルまでカバーしている。その効果を実感できるようになるまでには、それなりの月日が必要だったわけだ。
2度目はさらに月日を経て大人になったまさにいまである。歴史を授業でやっていたときは、小難しい用語を山ほど覚えなければならないし、覚えたことを書き写すだけのほとんど漢字の練習みたいなテストをやらなければならないし、ほとほと嫌気が差したものだった。しかし、歴史は、私たちが生きている世界を、私たちがどのように認識するかという営みと密接に関わっている。であるがゆえに、歴史は重要で、ときに極めて厄介な代物にもなる。ただ、歴史を学びたいと思うことの根底にあるのは、自分が属するものとは異なる世界への子どもじみた好奇心なのだと思う。自分とは異なる文化的背景や思考様式をもった他者がいるというのも、前提としてそれらの知識がなければ、そのようなものとして見ることすら覚束ない。さらにいえば、それらの知識を得るための興味関心がなければ、そもそもなにも始まらない。学習まんがはまさに異世界への扉である。物語的な面白い叙述を通して、異なる世界への興味関心を培う力を醸成することが、学習まんがの本領であるように思う。私は学生時代に歴史を学ぶことを一度挫折したのだが、それでもいまも歴史が好きで、そしてこんな文章を書いているのも、もとを正せばあの頃読んでいた学習まんがの影響が大きいのだろう。
閑話休題。集英社版『学習まんが 世界の歴史』シリーズに話を戻そう。本シリーズは表紙イラストの執筆者の豪華なることがとりわけ目を引くが、監修担当者もまた非常に豪華な顔ぶれであることも重要なポイントだ。総勢11名の先生方が各々の専門分野に近い巻を担当されている。まずは列挙してご紹介する。
- 髙井啓介さん 1巻
- 杉山清彦さん 2、6、12巻
- 田中創さん 3巻
- 高野太輔さん 4巻
- 加藤玄さん 5巻
- 君塚直隆さん 7〜11巻
- 大久保明さん 13巻
- 板橋拓巳さん 14巻
- 宮下雄一郎さん 15巻
- 細谷雄一さん 16、17巻
- 小川浩之さん 18巻
錚々たるメンバーだ。杉山さんと君塚さんの仕事量が目を引く。なかでも私が興味深いと思ったのは、後半の近現代史を担当された先生方の顔ぶれである。歴史を扱う漫画の監修ながら、歴史学者という肩書で紹介されることの少ない方々であるように思う。もちろん歴史学も専門分野の一部ではあろうが、どちらかといえば法学や政治学、国際政治学に軸足を置いていらっしゃる方々のように見受けられる。とてもユニークなキャスティングだ。子ども向けの教材として歴史を漫画で描くとなれば、表紙イラストが象徴するように、歴史上の人物に焦点を当てて、彼らを登場人物として描いていくのはわかりやすい手法のひとつだろう。そういう歴史人物の大半は見ての通り政治家である。また『学習まんが 世界の歴史』が扱う物語は、国と国との関係、ひいては戦争の歴史だ。だからこそとりわけ近現代史においては、政治外交史や国際関係論の専門家が選ばれたのだろう。
私たちが生きているこの時代は、おそらく多くの人が感じているように、歴史の変わり目にあるのだと思う。コロナウイルスの世界的な大流行、ロシアによるウクライナ全面侵攻、激化するガザ紛争に止まらないイスラエルの暴挙とそれを支持し続ける西側主要国。AI技術の加速度的進化によってますます巧妙化するフェイクニュースや偽情報、それらを意図的に活用して工作活動を行う国もある。当たり前に続くと思っていた世界がバラバラに壊れていくような感覚がある一方で、ずっと続いていたからこそいまになって噴出した問題もある。こういう時代に歴史を学ぶことの価値はとても大きいのではないか。
『学習まんが 世界の歴史』シリーズは子ども向けに作られた書籍ではあるが、当然ながら大人が読んではいけないという法はない。お子様のために買われた保護者の方々にとっては、改めて子どもと一緒に歴史を学ぶチャンスである。きっと得難い経験になるに違いない。あるいは監修者の先生方が一般向けに書かれた書籍を紐解いてみるのもオススメである。
本シリーズで16、17巻を担当された細谷雄一さんの『国際秩序』(中公新書)は、ヨーロッパの近代史をとてもわかりやすく解説してくれていて、現代の国際社会がいかにして作られたのかを知るための足がかりになる良書である。また、細谷さんと14巻を監修された板橋拓巳さんの共同編集である『民主主義は甦るのか? 歴史から考えるポピュリズム』(慶応大学出版会)は、各国における民主主義の挫折の歴史を取り上げ、ポピュリズムが蔓延する現在の危機について考察する。
そしてこちらも細谷さんが編集を担当された『ウクライナ戦争とヨーロッパ』(東京大学出版会)では、板橋さんに加えて、15巻の監修の宮下雄一郎さん、18巻の監修の小川浩之さんの論考も掲載されている。この時代になって起きてしまった大規模な国家間戦争がもたらした変化とはなにか、10人の研究者による分析を読むことができる。是非とも各売場に足を運んでお手にとっていただきたい。
当店では年間ベストセラーのランキング上位に入る勢いでガザ紛争に関しての書籍が売れている。岡真理さんの『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房)は昨年末に発売された書籍だが、いまでも店頭の平台に積んであって、そして売れ続けている。他にも日々多くの出版社から歴史関係の書籍が出ている。出版界の内実やそれを取り巻く状況は必ずしも好ましいものばかりではないかもしれないが、こういったお硬い書籍が出されて売れている状況は少なくとも幸運なものなのであろう。私たちは世界のどこかで社会が崩壊する有様をいろいろなメディアを通して目撃せざるを得ない時代に生きている。歴史とか世界情勢とか大きすぎて個人ではどうにもならないのは確かであるが、本を読んでちょっと考える、これだけでもなにか意義があるに違いないし、少しでもできることをやることが希望に繋がるのだろうと思う。